Mendokusai Lab.

仕事や自分に起こったことなど、気になったことを、メンドクサイ感じで書き殴るブログです。

メタ認知は高められる能力なのか

なかなか本の話が始まりません。

いや、実はこのエントリも、この後書く予定のある書籍に関係するのです。以上言い訳でした。

メタ認知

はてなでもキーワードで出てくるメタ認知です。
最近は新人研修なんかでも、一日の最初と最後に「メタ認知ワーク」なんていうのがあったりします。
自社が提供する研修サービスのカリキュラムに入っていないので、何をやっているかはよくわかりませんが。
ググると約 2,340,000 件ヒットします。

メタ認知「能力」を「高める」?

で、ググって出てくるのは「メタ認知能力があるとどんないいことがあるか」とか「メタ認知能力の高め方」とか、そういう記事が多い。
私には、個人の性質として、この「能力」とか「高める」とかいう表現がすっごく気になる傾向があります。
「○○力」「〇〇能力」は、具体的に何なのか、正体がよくわからないものに対して、わかった気になるために使われている表現(であることが多い)というのが私の思い込み。

余談ですが、「免疫力」はトンデモ・根拠なしのキーワードなんだそうです。

高める、ということは、このメタ認知能力とやらは、低い状態があり、高い状態に持っていくことができる手段があるってことですよね。
じゃあメタ認知能力とはなにか、低い状態とはどういう状態なのか、高まったかそうでないかはどうやって区別するのか。
なんかこういうのがわからないと、スッキリしない。

心理学者の方も使っている表現のようなので学術的なバックグラウンドはあるのかな?と思ってはいますが。

あと、「能力を高める」という表現は、高いことは良いこと、高めるべき、みたいな価値観の押し付けを読み取ってしまって、そんなん個人の勝手やし、ほっといてくれや!って思ってしまう。

自分なりに考えてみる

文句ばっかりで生産的じゃない(成人式のエントリも似たようなノリだったし)のもどうかということで、ここはひとつ、定義を試みてみようではないですか。
もうあったらごめん。
そしてできなかったらごめん。
そして文献を漁るのは今日は面倒なのでやらない。

まず、低いとか高まるというからには、なんらか測定可能である必要があるはずです。

さあここでもう詰まった。
メタ認知って思考の話、自分の内面だよね。
これどうやって測定するんだ。

いや、そういうよくわからんものを一応操作的に定義して論文書いたわけだし、もうちょっと粘ろう。

測定可能だとすると、なんか量のようにして捉えられないだろうか。
例えば、どれだけ多くメタ認知するか、つまり、認知活動に対して、どれくらいの頻度でメタ認知を行うか。
まあ、これならなんとか捉えられなくもなさそうだ。

が、ちょっと待て。

メタ・メタ認知とオートマチック・メタ認知

自分がメタ認知を行っている頻度を認知するっていうことは、メタ認知の認知だよな。
つまり、メタ・メタ認知である。
メタ・メタ認知ができているときに初めて、メタ認知ができていることを認知できているということになるわけだ。

なんか循環参照してません?

もう一つ、メタ認知していることを認知していない状況ではメタ認知していない、というわけでもないんじゃなかろうか。
なんかおそらく、自動的にうすーくメタ認知が働いていて、自分をモニタリングしているんだけど、自分でも気づいていない、とかありますよね。

例えば、今自分は文字入力のためにタッチタイプしているわけです。
で、キーボードを正しく叩けているかを、画面上に表示された文字を見ることだけでモニターしているかというとたぶん違う。
キーを叩くリズムとか、指のひっかかる感じ・迷う感じとか、叩いた瞬間に「あ、違うキー叩いちゃった」みたいなのとか、そういう感覚もモニターしている感じがある。
これはメタ認知だと思うんだけど、これがメタ認知だということ自体に今この瞬間まで気づいていなかった。
こういうオートマチックなメタ認知は、メタ認知能力として測る対象に入れるべきなのかどうなのか?
入れるべきだとすると、ほぼ常時、程度の差こそあれオートマチックにメタ認知している、っていうことになりそうな。
じゃあ頻度なんて意味ないではないか。

メタ認知を「適切さ」で測れるか?

仕方がないので、ちょっと観点を変えてみよう。
量でダメなら質で勝負である。
適切なメタ認知をできていれば、メタ認知能力が高いっていうことでどうか。

うん、その「適切なメタ認知」かどうか、誰がどうやって判定するのかだよなー。

メタ認知した内容を具体的に記述したり、口頭で話したりすれば、他の人が判断することはできるかもしれない。
でもその、記述・口述した内容が、適切にメタ認知した内容だとわかるためには、もとの認知の内容がわかる必要がある。
それはどうやったらわかるのか、っていう…

あと、もしかすると、具体的に、詳細に述べられていると、適切なメタ認知という判断になったりしそうな気もする。
具体的に、詳細に述べているが、全て作り話だったらどうなるのだろうか。

結論

よくわかりませんでした、ごめんなさい。

とはいえ、もともと「これ、無理じゃね?」と思っていたので、確証バイアスがかかりまくっているおそれもあります。
適切に考えればなんとかなるものなのかなぁ、どうなんだろ。
みたいなことを書くことによって、「このエントリを書いている自分の思考をメタ認知してますよ」アピールしているという、まあ鬱陶しい話ですね。

一つ明確なのは、このエントリを妻が読んだら「めんどくさいし、面白くないし、話長い」って切り捨てるに違いないということです。