Mendokusai Lab.

仕事や自分に起こったことなど、気になったことを、メンドクサイ感じで書き殴るブログです。

【本】クリティカルシンキング 入門篇(2)菅義偉内閣の支持率が下がった原因

質問

時事通信の2021年01月15日付記事によると、時事通信が8~11日に実施した1月の世論調査で、菅内閣の支持率は前月比8.9ポイント減の34.2%、不支持率は13.1ポイント増の39.7%となったそうです。あなたは菅義偉内閣の支持率が下がったことの原因は何だと考えますか?これがなければこの結果が起こり得ないという原因を挙げてみてください。原因はいくつでもかまいません。

なお、このエントリには何ら政治的意図はありません。

そして、本文が7,000字オーバーと全然まとまっておりません。ごめんなさい。端的にポイントを掴みたい方は、他にもいろいろなサイトで紹介されていますのでそちらをご参照ください。

そして、このエントリは書籍「クリティカルシンキング 入門篇」に関するものですが、冒頭の質問は書籍には出てきません。念のため。
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前回はこちら。

ものごとの原因について考える

第2章のタイトルは、「ものごとの原因について考える」です。

子どもはいつも「なぜ?なぜ?」と疑問を連発する。大人になっても口にこそ出さないが、常に「なぜ?」と考え続けている。人間はものごとの原因を知りたがる。

というようなことを書いてあるんですが、そうなんですかねぇ。

私、研修講師が仕事ですが、講義で因果関係を検討する演習とかやっています。見ていると、もちろん、「なぜ?なぜ?」というタイプの人もいるんですが、結構多くの人が、「で、どうやって解決するの」「何をするの」を話したがるんですよね。結構多くと言っていますが、データがなく、感覚値ですみません。まあ、どうやるの、を話し始めるの前に、頭の中で、なぜ?を考えているのかもしれないですけどね。

因果関係の検討で起こること、起こりがちなこと

この章では因果関係検討で大事なポイントが多く示されています。ざくっとまとめたので表現が不正確なところもあるかもしれません。

出来事の状況や文脈への判断で、原因に対する判断が変わる

示された例がなかなか興味深いです。

「腕時計のガラス面がハンマーで叩かれ、ガラスが割れてしまった」という出来事があったとする。この分を読むと、大抵の人はガラスが割れた原因はハンマーで叩いたことだと考えるだろう。

これは時計が乱暴に扱われても大丈夫かどうかを調べるため、時計工場でガラスの耐性検査をしている時に起こった出来事であった。この文脈では、多くの人がガラスが割れた原因はガラスの欠陥のせいだと主張するであろう。

これは背景条件(の捉え方の違い)で原因検討の結果が変わる例なのですが、この次の部分で「突発的で、ふつうでない出来事を、より原因とみなしやすい」という説明があり、その事例でもあるのかなと思いました。実務で問題解決の検討をしている場合も、たしかにいわゆる「目立つ出来事」に意識が行ってしまい、その裏に隠れた「目立たない日常」は見落としやすいのかも、という気がします。

相関があるものには、因果関係があると思い込みやすい

このテーマで真っ先に浮かんだのが、この4コマ。
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これは「データはウソをつく」で紹介されている、いしいひさいちさんの漫画です。
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データに騙されない方法、騙さないデータの使い方などのエッセンスが詰まった新書で、語り口も堅苦しくなくておすすめの書籍です。

ちなみに著者の谷岡先生はいしいひさいちさんのファンだそうで。私自身は「がんばれ!!タブチくん!!」「となりの山田くん」あたりは覚えていたものの、そんなに強い印象はもっていなかったかなぁと思います。が、改めて読むといしいさんの視点ってなんか私の好みっぽいので、今度ちゃんと読んでみよう。

ついでにですが、いしいさん、こんな本も出してらっしゃるんですね。すげーところに到達されとるわ。
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2つの出来事のどちらが先かを見極めるのは結構難しい

因果関係、原因と結果の関係には時間の前後があります。原因が先で結果が後ですね。
例として一つ、Newsweek日本語版 2018年7月31日の記事果敢に挑戦するマインドは猫のお陰?「猫と起業家」の興味深い関係とはを紹介します。記事を読むと、読んだ方はたぶん「そうか、ネコを飼っている人は、トキソプラズマに感染して、その結果、起業家になりやすくなるのか!」と思うのではないかと思います。

しかし、よく考えてみると、「起業家になりやすい人は、ネコを飼う人が多く、その結果としてトキソプラズマに感染する」という可能性も否定できないわけです。*1

まあこのへんは、先に「トキソプラズマに感染すると起業家になりやすくなる」という文章が書かれているのでミスリードされちゃう、というのもありそうですね。この記事はそういう構成になっていて、前半にミスリードしておいて、後半で「否定的な研究結果も・・・」とか、「まだ明らかになっていない」というように正しさを担保するという、ある意味卑怯なやり方だなと私は思っていたりします。まあ、そういう目線で読んでみると、いろいろ突っ込みどころもあり、それ故に面白い記事とも言えるかなと。

ちなみに因果の前後関係の話として、書籍ではニワトリが先か卵が先かという話も紹介されています。

私自身の見解としては、おそらく遺伝子の突然変異は生殖活動の際に起こっているはずで、そうすると卵が先。が、もしかすると、親が既にニワトリになる遺伝子を持っていて、それが生殖活動の結果卵に伝わったと考えると、卵の前がある。ただその親はニワトリではないだろうから、やっぱり卵が先かなぁ。ただこれには大前提がある。「最初のニワトリの親は卵生の生命体である」こと。この前提がない場合は話が違ってくる。胎生でも卵子が受精すると考えると、卵子を経ない、有性生殖だと交接、それか無性生殖ということに。その結果、卵を生む「ニワトリ」が生まれ、その「ニワトリ」が最初に産卵した。これだと、ニワトリが先、になる。ただし、ニワトリが何億年も前に、しかも水中で生きている必要がありますが。

完全にどうでもいい話になりました。なお、ニワトリと卵の話は、因果関係の前後というよりは、ニワトリと卵の定義の話になるような気がしています(じゃあここでするなよ)。

本当は相関がないのに、相関があると思いこんでしまうこともある

「人は自分が見たいものを見る」ってカエサルの言葉らしいですね。出典がよくわからないので本当にカエサルが言ったのか確信はないですけど。

相関があるという思い込みでいうと、ジンクスの話だったり、てるてる坊主下げると晴れるのかとか、雨乞いとか。雨乞いの話は、放送大学の講義「錯覚の科学」で、訳者の菊池先生が解説されているのですが、こんな感じでした。

「なぜ雨乞いをすると雨が降ると信じ込むのか?それは、雨乞いをすると雨が本当に降るからです。」*2

味わい深いですね。適切に味わうための参考がこちら。

イカ釣りスターシリーズ「なぜ釣れるかって?釣れるまでやめねぇーからだ!」折本喜一

前-後論法には騙されやすい

先ほど、「二つの出来事の前後関係を見極めるのは難しい」と言いました。一方、人は一般的に、前後関係が示されると、そこに因果関係があると思い込みやすいという傾向もあるみたいんですね。なんと人間とは騙されやすい生き物なんでしょうか。

「以前はAだった、Xという出来事の後はBになった」「だから、AがBになったのはXのせい(Xの効果)だ」というのを前-後論法というそうです。この前-後論法はあんまり根拠としては強くないですよ、騙されないでねというお話。これは主要な4パターンを覚えておきましょう。試験に出ます。覚えなくてもいいです。

同時発生の原因

試験の前にお祓いをしてもらったので志望校に合格できた、みたいなのとかですね。試験の前にお祓いをしてもらったのは事実だとして、それで合格できたのかはわからない。普通に考えると、それよりは、試験に体調がよく臨めたこととか、事前に集中対策を行ったところが出題されたこととか、そういう原因のほうが試験の結果に影響を与えそうです。もちろん、「試験の前にお祓いをしてもらった、そのおかげでなぜか安心できた、それで試験に集中して臨めた、それで合格した」みたいな心理的な影響とかがあったりするかもしれないので、お祓いしてもらったほうがいいなと思う方は、お祓いしてもらえばよいかなと思います。

自然な原因

てるてる坊主を作ったら翌日晴れた、みたいなやつですね。確かに時間的にはてるてる坊主を作ったのが先で、晴れたのが後なんだけど、じゃあてるてる坊主を作ったことが原因で晴れという結果になったのかというところが疑わしい。普通に気圧配置とか偏西風とかの影響でしょみたいな話ですね。

ちなみにてるてる坊主を逆向きにして「るてるて坊主」を作った場合、てるてる坊主とるてるて坊主の間でどのような闘争が起こるのか、ちょっと興味があります。あと、てるてる坊主は坊主頭っぽい感じなので坊主なのか、それともボディの部分が袈裟っぽいのも影響しているのか、そうすると坊主頭でなく袈裟っぽくない感じに作ると、てるてる坊主ではなくなるのか、という点もちょっと興味があります。

平均方向への回帰

いつもよりいい成績をとった子どもを褒めたら次のテストの成績が悪かった、悪い点をとった後に叱ったら成績がよくなった、褒めて伸ばすなんてウソで叱らないと成績は上がらない!

みたいなやつです。いつもよりいい成績をとったというのは、実力に見合っていれば別ですが、そうでない場合は異常値とか特異値ということになります。つまりもともと確率が低いわけです。次のテストでは「平均値に近い成績」になる確率が高いよね、というお話。「子どもがサイコロで5回連続で6を出した。それで子どもを褒めたら、次からは2回連続が関の山。やっぱり褒めたらダメだ」って言われたらさすがに違和感持たれるんじゃないですかね。本質的には同じ話ですね。

欠落したケース

本会を1年間継続された会員の95%が効果を実感されています!みたいなやつですね。そりゃ効果を実感したから継続しているわけであって、じゃあどれだけやめたのかっていうところがうやむやになっているパターン。さらに、これに同時発生の原因も関わったりするわけです(ダイエット食品とかエクササイズ系とか。本会の継続効果以外に、本人の努力の要素、食事コントロールやったとかが結構無視できない)。

2つの原因

さて冒頭の質問。
これがなければこの結果が起こり得ないという原因というところがポイントになります。この書籍によると、原因には2つの種類があるとのこと。それが、「必要原因」と「十分原因」です。

「必要原因」とは、「これがなければこの結果が起こり得ないという原因」。つまり冒頭の質問で聞いていたのはこちら。一方、「十分原因」とは、その原因があればある結果が必ず起こる原因のことです。

菅総理が不適切な発言をした!

まあ実際あったかは置いておいて、不適切発言があったらたしかに支持率は下がるでしょう。ですが、不適切発言がなければ支持率が下がらないかといえばそうではないですよね。

例えば、発言には問題ないが、打つ施策がことごとく外れる。

あるいは、最初、国民が過度に期待していて、普通の政権だということがわかって数字が落ち着く。

もしかすると、野党が過度なネガキャンを実施し、国民がそれを信じた、のかもしれない。

こういったこともありうるわけですね。これらは全部、どれかがあると支持率が下がる「十分原因」ということになります。一つでも満たされていれば、他の十分原因はなくてもよい、とも言えますね。

冒頭の質問:回答例

じゃあ、必要原因=「その原因がなければこの結果が起こり得ない原因」ってどういうもの?あくまで私の考えですが、例を挙げてみます。

  • 菅義偉総理大臣のもと、内閣が成立した
  • 国民に対する支持率調査が、少なくとも2回行われた
  • 2回の支持率調査のどちらも、菅義偉総理大臣だった
  • 支持率調査に対して、国民が回答した
  • 今回の支持率調査の結果のほうが、前回の支持率調査の結果より低い結果になった

当たり前すぎますね!

まあ、「原因は何か」を考えるときには、必要原因はあまり考えず、十分原因を検討するのが普通かもしれませんね。必要原因は当たり前すぎる原因になることが多く、わざわざ考える必要性を感じない。一方、十分原因さえ見つければ、「その原因があればその結果になる」わけですので、「何が原因でそうなったか」に納得することができます。そうすれば、「その原因を解消するにはどうするか」を考えることができる。解決策がわかれば、原因を考える目的は果たされたということになりますね。

十分原因を考えるときのポイント

ここでちょっと書籍から離れて、私の実務の話をします。私が担当する企業研修では、問題解決手法について演習をやってもらうことが多くあります。受講者の演習への取り組みを見ていると、因果関係の検討が決め打ちになりがち、という傾向がよく見られます。

例で説明しましょう。ある会社で、何かのルールが守られていないという問題があったとします。そうすると、多くの人が「ルールを知らないから」という原因を挙げてきます。もう一つは、「ルールを守る意識がないから」という原因です。ルールを知らないから守られない。ルールを守る意識がないから守られない。この2つが原因である。それで、ルールを知ってもらうため・意識を啓発するために、説明会や勉強会をする、みたいな対策が出てくるわけです。

これだけ聞くとあまり違和感がないかもしれません。でもちょっとまってください。ルールは知っていて、守る意識があれば守られるのでしょうか?自動車運転中のルール違反を考えてみましょう。信号無視は「この信号を守らなければいけないことを知らなかった」とか「信号を守る意識がなかった」ことが原因で起こるのでしょうか?「ほかのことに気を取られていて、信号を見落とした」ということはないのでしょうか?

ここで、「普通に考えた時の原因は十分原因である」という考え方が役に立ちます。十分原因は、「確かにその原因があればその結果になる」原因ですが、「その原因がなくなればその結果にはならなくなる」原因ではありません。ある十分原因がなくなっても、他の十分原因があれば、同じ結果が起こるのです。私はよく「そのせいじゃなかったら?と考えてみよう」とお伝えしています。「この原因がなくなっても同じ結果になるとしたら、他にどんな原因があるだろう?」と考えてみることが大事だよ、ということですね。

気になる①:原因は必要原因と十分原因しかない?

とここまで書きましたが、気になっていることが2つあります。

1つ目。さっきの例で、「ルールを知らない」という原因を挙げました。これは必要原因ではないわけですが、十分原因でもないと思うんですよね。だって、ルールを知らないけれど、ルールが守られるパターンもありえますからね。速度超過は禁止と知らないけど、乗っている車がすごく遅いので、速度超過できないとか。

ルールを知っていればルールは守られるとも限らない。

ルールを知らなければルールは守られないとも限らない。

じゃあ原因じゃないのか?いやそれも違うよなあ。ルールを知らなかったことによってルールが守られないパターンもある、ということなので、原因ではあるでしょう。これは何なのか。

impro-club.com

なるほど、寄与条件というのがあるのか。因果関係なら寄与原因というのかな?「必要原因・十分原因・寄与原因」という分類はしっくりきます。

気になる②:必要原因が揃うと十分原因になる?

もし、このような必要条件(必要な原因)の一つでも欠けたら、結果は起こらない。言い方をかえれば、これらの必要条件すべて(つまり必要な原因の集合)が出来事の原因なのである。これらの必要条件すべてが存在した時、必然的にその出来事は起こる。そして必要条件がすべて存在することが、その出来事が起きるための十分原因なのである。

こういう記載が32ページに出てくるんですが、理解できないんですよ。

だって必要原因って、その原因がなければ結果が起こらない原因であって、その原因があれば結果が起こる原因ではないわけです。なのに、「これらの必要条件すべてが存在した時、必然的にその出来事は起こる」とどうして言えるのでしょうか。わからん。

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必要原因の集合は十分原因?

図に書いてみました。必要原因の集合だと、上の図のような感じになるんじゃないのかなぁ。必要原因だと「その原因があるが、その結果が起こらない」パターンがある。必要原因をいくら集めても、やっぱりどこまでいっても必要原因の集合にしかならんのではないだろうか。十分原因と重ねるとスキマができる、みたいなイメージ。

それとも、「必要条件すべてが存在する」ということが、図の下のように、必要原因の集合は必要十分原因になる、ということを意味するのだろうか。それなら、たしかに必要原因の集合が十分原因になるんですが、その前提って当然に置かれるものなのかしら。

論理学とかちゃんと学ぶとわかるのかしら。誰か教えて下さい。

ということでやっと第2章終わりです。第3章からあとはもうちょっと雑に書こう…

*1:記事でも触れられているとおり、「トキソプラズマへの感染と起業志向は、相関はあるが因果関係はない」可能性もあります。

*2:うろ覚えなので、ちゃんと確認して更新する予定です…